島原半島・天草三角の魅力島原半島・天草三角の魅力

キリシタン文化の魅力

キリシタン文化の魅力。キリシタン巡礼の道:島原半島と天草は古くから地理的条件を生かした対外貿易の拠点であり、外来文化の入口として朝鮮半島を始め、東南アジア、そして西洋諸国との交易が盛んに行われていました。車社会の現在と異なり船舶の往来が頻繁だった時代の外来文化は、海をはさんで隣接する島原半島と天草地域に伝播し、多くの文化や歴史を共有してきました。南蛮文化の到来から島原天草の有力者はキリスト教を厚く信仰し、島原半島と天草には宣教師養成のため、セミナリヨやコレジヨを次々に開校。天正遣欧使節の少年らは、ヨーロッパへと渡りさらに文化を伝えてきました。しかし、隆盛も束の間、幕府は禁教令を打ち出します。キリスト教弾圧と重税、飢饉に苦しんだ農民たちは、天草四郎を仰ぎ蜂起、天草・島原の乱にいたりました。現在も、島原半島と天草地域の各地に南蛮文化の足跡が色濃く残り、キリシタンに関する史跡が点在しています。 キリシタン文化の魅力。キリシタン巡礼の道:島原半島と天草は古くから地理的条件を生かした対外貿易の拠点であり、外来文化の入口として朝鮮半島を始め、東南アジア、そして西洋諸国との交易が盛んに行われていました。車社会の現在と異なり船舶の往来が頻繁だった時代の外来文化は、海をはさんで隣接する島原半島と天草地域に伝播し、多くの文化や歴史を共有してきました。南蛮文化の到来から島原天草の有力者はキリスト教を厚く信仰し、島原半島と天草には宣教師養成のため、セミナリヨやコレジヨを次々に開校。天正遣欧使節の少年らは、ヨーロッパへと渡りさらに文化を伝えてきました。しかし、隆盛も束の間、幕府は禁教令を打ち出します。キリスト教弾圧と重税、飢饉に苦しんだ農民たちは、天草四郎を仰ぎ蜂起、天草・島原の乱にいたりました。現在も、島原半島と天草地域の各地に南蛮文化の足跡が色濃く残り、キリシタンに関する史跡が点在しています。

天草編 天草編

  • 天草キリシタン館
    ここキリシタン館は昭和41年に開館し、平成22年7月に現在の建物になっています。エレベーター、エスカレーターが設置され、お年寄りや体の不自由な方々にも優しい施設となっています。  この小高い丘は... 詳細を見る
  • 大江教会
    昭和8年、フランス人宣教師ガルニエ神父によって建てられた白亜の教会。ロマネスク建築で、広く高い天井の聖堂に入ると厳粛な気持ちになる。 ※教会は祈りの場です。節度を持って拝観しまし... 詳細を見る
  • 富岡城
    富岡城は慶長6年(1601年)に天草の領主となった、肥前唐津藩の寺沢志摩守広高によって慶長7年(1602年)頃から築かれた。寺沢氏は、富岡城に藩代を配置し天草を統治したが、寛永14年(16... 詳細を見る
  • 天草四郎メモリアルホール
    南蛮文化とキリスト教伝来の様子を映像などのメディアと資料で紹介する歴史テーマ館。天草四郎を中心とした天草島原の乱は、自由平等を求めた戦いであったことを今に伝える立体映画やジオラマは、見る人... 詳細を見る

島原半島編 島原半島編

  • 島原城
    有馬氏の後を受けて元和二年(1616)、島原藩主となった松倉豊後守重政は、北有馬の日ノ江城と南有馬の原城を廃し、島原に新城を築くことにしました。元和四年に着工され、竣工まで七年余りの歳月を掛けた... 詳細を見る
  • 原城跡
    「天草・島原の乱」(1637年~1638年)の激戦地となった原城は、海岸に突き出した丘に築かれ、周囲は約4km、東は有明海、西と北は一部をのぞいて低湿地に囲まれた天然の要害でした。 149... 詳細を見る
  • 日野江城跡
    国指定史跡 日野江城跡は1200年頃から1614年まで戦国大名有馬氏の居城でした。 本丸のやや下がった東側に二の丸、反対側の北西部に三の丸を配置した連郭式の城郭であったと考えられます。 ... 詳細を見る
  • 有馬川殉教地
    有馬直純に対して棄教を拒否した3人の重臣とその家族が、1613(慶長18)年、2万人以上の信徒が見守るなか、城の前の広い浜で火刑となり、殉教しました。 その中には11歳の少年もいたといわれ... 詳細を見る